□ エッセイ ESSAY


ばかばかしいことがやりたくなって

藤田博史
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 初めてカシュガルに到着した時、陽はすでに沈みかけていた。日没とともに大きくなってくる不安を打ち消すために、わたしは「これまで宿が見つからなかったことはない」と心のなかで断言しながら、宿を求めて夕暮の町を歩きまわった。しかし妙だ、地図と実際の町並みが随分違っている。町の中心でバスを降り、目印のビルを確認したところまでは間違いない。しかしそれ以外は手持ちの地図がまったく当てにならない。すっかり陽が暮れてしまってから、基準にしていた交差点が一本ずれていたことに気がついた。なんという失態!「人間は最初におもい込んだことにすっかり騙される」ということをしっかり確認したわけである。気を取り直して地図を再検討し、目指す其尼巳合(ソニバ)賓館に辿り着いた。
 
 ところが、鉄格子の門に宿の名前こそ書かれてはいるが、門の向こうには建物らしきものは見当たらない。仕方なく門をくぐって中に入ると、辺りは真っ暗闇である。人気すらない。広い敷地を恐る恐る歩いてゆくと、目が慣れてきたのか、両脇に粗末な平家が建っているのがぼんやりとわかる。しばらく歩いて正面の平屋に突き当たったが、やはり真っ暗。日没後の見知らぬ真っ暗な建物に囲まれているというのはこんなにも不気味なものか。念のため、と突き当たりの平家を迂回してみたら、幸運なるかな、薄暗いながらも電球の光が洩れている窓を発見した。
 
 ドアを叩いた。返事はなかったがドアを押して中に入った。殺風景な薄暗がりの中に粗末なカウンターがあった。奥をのぞくと、四、五人のウイグル人が、薄暗い部屋の中で黙ってテレビを見ていた。わたしは声を掛けた。するとカウンターの向こう側に突然男が起き上がった。カウンターの裏で寝ていたのである。「ここはホテルか」と尋ねると「そうだ」という返事。泊まりたい旨を告げると「部屋はある、一泊六元(約二百円)」というぶっきらぼうな答が返ってきた。「高いな」とはおもったが、さりとて別の宿を探し回る元気は残っていなかった。値切ってみたが、無理だった、わたしは仕方なく承諾した。男は鍵束を携えて自分についてくるようにと目で合図した。男は、入ってくる時に右手に建っていた粗末な平屋の一つにわたしを案内した。暗闇の中を男はすたすたと歩き、建物の中に入ると、ドアに鍵を差し込み、中に入って明かりをつけた。
 
 がらんとした四人部屋のドミトリーで床は剥き出しの地面である。他に客はいなかった。埃っぽい部屋にうす汚れたベッドが無造作に四つ置いてあった。煌々と床を照らす裸電球の明るさに宿の見つかった幸せを実感した。男は去り際に、隣のふたつの部屋を指差しながら、この部屋には日本の男、その部屋には日本の女が泊まっているよと言い残していった。
 
 わたしは隣室のドアの前に立ち「こんにちは」と日本語で声をかけてみた。しばらくして「はい」と日本語で返事がし、ガチャガチャと音がしてドアが開いた。そこには髭だらけの青年が頭をぼりぼり搔きながら立っていた。彼の部屋は真っ暗である。「電気のスイッチが壊れてるんですよ」「今日着ついたんですか?」「ええ今日着いたんですけどね、電気のスイッチも壊れていることだし、横になってたんですよ」「しばらく居るんですか?」「これからパキスタンに入る予定なんですが、五月一日にならないと国境が開かないんで、それまで待つつもりです」「あしたゆっくり話しでもしませんか?」「そうですね」彼は真っ暗な部屋にさがり、ドア閉めようとしたがどうも完全に閉まらない。「そっちからちょっと押してください。……あっ……だいじょうぶ閉まりました、どうも」
 
 ドアはけたたましい音を立てて辛うじて閉まった。
 
 部屋の電気をつけてしばらく荷物の整理をしていると、自転車のブレーキの音がして建物の前で止まった。カラカラと音を立てながら自転車を廊下まで引いてくる音がした。開いたままにしておいたドアから丸顔の女性が覗き込んだ。「日本のかたですか?」「ええ」「少し遊びにきてもいいですか?」「どうぞ……
 
 彼女はいったん部屋に戻り、湯呑みと煙草を携えてニコニコ笑いながら部屋に入ってきた。今度はわたしの方から話しかけた。「めずらしいですね、日本の女性がたった一人でカシュガルにいるなんて、しかもこんな汚いドミトリーに」「わたし、本当はパキスタンに住んでいるんですけど、去年の十二月に中国に入ってきて、ちょっと訳があって、こんなになっちゃったんです」「どうしたんですか?」「国境が閉鎖されちゃったんです、それと……」「それと?」「わたし、ここで、旦那にしたい男、見つけたんです」
 
 あっさりと言ってのけた彼女の目は、明らかに輝いていた。
 話を聞いてみると、好きな男というのは中国人で、トラックの運転手だという。トラック仲間と付き合っているうちに、彼と知り合い、彼のトラックに乗せてもらっているうちに、彼をもっといいトラックに乗せてあげたいとおもうようになったのだという。
 
 しばらく話をした彼女は、やはりニコニコしながら部屋に戻っていった。
 
 わたしはベッドにもぐり込み、まもなく眠りに落ちてしまった。
 翌朝、目覚めて洗面を済ませた後、昨夜の青年と戸口のところで顔を合わせ、そのまま隣の彼の部屋で話し込んだ。聞いてみると、ウルムチからバスに乗り二泊三日かけて昨夜カシュガルに着いたのだという。年は二十三歳、名前を後藤君という。
 
 彼は今年の一月、数年間勤めた会社を辞め「なにかばかばかしいことがやりたくなって」住んでいた静岡から自転車に乗り、鹿児島まで走ったのだという。そこで自転車を人に譲り渡し、船に乗り込んで沖縄へ到着し、さらにそこから台湾に入った。台湾からどこに行こうかと考えた挙句、香港に渡り、国境越えて広州に入り、列車とバスを乗り継ぎながら転々とし、この中国最西端の市カシュガルまで辿り着いたのだという。
 
 彼はガイドブックの類は一切持たず、手書きの地図を一枚持っていただけだった。途中でしっかり泥棒にも遇い、持ち物も少なく極めて軽装であった。三脚と一眼レフのカメラが一際輝いていたが、邪魔なので、もうどこかで売り飛ばしたいという。「天晴れ後藤君」と言わざるを得ない。
 
 「目的地はどこ?」というわたしの質問に、彼ははっきり「イギリスです」と答えた。その答えが意外に思われて「どうして?」と聞き返してしまった。彼は返答に窮して「……なんとなくです」と答えた。
 
 わたしはハッとした。自分はできるだけ現代文明から遠ざかろうとしてカシュガルまでやってきたのだったが彼は違った。わたしの思考を完全に破壊してしまうだけの威力が、彼の何気ない発言の中にあった。人は誰も、ばかばかしいことを、それと気づかずにやらされてしまっている。自分のしていることが、本当はばかばかしいことであると気づいている人間が、どれほどいるであろうか。「文明と非文明との間の往復運動」というスローガンさえも意味をなさなくなる地点に彼は立っているように見えた。純粋な魂の前では、文明―非文明という区別さえも、すでに無意味である。魂は運動している、ただそれだけのことだ、とおもわれた。
 
 人は荒野を目指す。しかしその荒野に立った時、荒野はすでに目的地ではなく、新たなる出発点に姿を変えている。その昔、西域を目指した高僧たちは、一つの山を越える度に、自らは次の山を越えるための出発点に立っていることを、はっきり自覚しながら進んでいったという。生きているということは、西域を目指した高僧たちのように、目的地無き出発点の連続に遭遇し続けることなのかもしれない。彼らにとって西域とは、すでに地理的な目的地ではあり得ず、現に向かっているその向かい方の姿勢の彼方に、蜃気楼として永遠に逃げ続けるなにものか、だったのだ。
 
 翌々日、わたしはウルムチに戻るために、後藤君に別れを告げた。彼は五月一日の中国―パキスタン国境が再開されるのを待ち続けるのである。
 
 わたしは、カシュガルを飛び立つ飛行機の窓から、遥か西に広がるパミール高原と、その向こうに続くパキスタンを確かめたくて、じっと目を凝らした。しかし、そこに広がっていたのは、どこまでもうねり続ける山々の連続と、その手前にぽつんと孤立する黄色い砂で覆われた街、カシュガルであった。
 


掲載誌:『imago(イマーゴ)』10月号 第4巻第11号、青土社.1993年10月、pp. 8-11
 


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